【凄い】大塚家具創業者「大塚勝久」の現在『匠大塚』創業で大成功!

大塚家具創業者「大塚勝久」の現在『匠大塚』創業で大成功

大塚勝久は大塚家具の創業者であり、大塚久美子の父。

大塚勝久は「桐たんす職人」の父の仕事を幼少期から手使いながら、原材料の仕入れ、加工、販売。
さらに資金調達から経理までを含む、商売の全てを「子供時代」から経験した。

これがカリスマ創業社長誕生の原点である。

大塚勝久はクレヨンしんちゃんで有名な「埼玉県春日部」出身の起業家で、大学には行っておらず、埼玉県立春日部高等学校(定時制)を卒業後、1969年に父が作った工房を引き継ぎつつ株式会社化。

(株)大塚家具センターとして新たに創業する。その後、1978年に同じく新規創業の株式会社大塚家具が、株式会社大塚家具センターを吸収合併する形で統合。

ここから奇跡のような快進撃が始まり「全国」に店舗を拡大。

積極果敢な「広告宣伝」と店員の「マンツーマンによる接客」で会社を一代で爆発的に成長させた。

まさに「ジャパメンカンドリーム」を体現した経済界の大人物である。

 

 

娘「大塚久美子」が大塚家具の社長になる

その後、2009年に大塚家具の社長を娘の「大塚久美子」に任せる。

しかし、2014年に大塚久美子を社長解任。

大塚勝久が再び大塚家具の社長に復帰。

しかし、2015年1月28日、大塚勝久には5人の子供がおり、次男、次女、三女が長女の「大塚久美子」の側に付き、取締役会で「大塚勝久」は社長を解任される。

この時、マスコミに注目され現在に至る。

 

 

大塚勝久「匠大塚株式会社」創業と現在

2015年7月、大塚家具を退任することになった「大塚勝久」は、長男の「大塚勝之」らと「匠大塚株式会社」を新規創業。

高級路線で、大塚家具本来の富裕層をターゲットにした高級家具、マンツーマン営業方式で経営は順調。

匠大塚は非常に業績が良く、父の威厳を見せつけている。

 

 

大塚久美子の経歴

大塚久美子は大塚家具創業者、大塚勝久の長女。
1991年 一橋大学を卒業後、みずほ銀行に入行。
融資課に配属後、国際広報を務める。

1993年 株式会社 大塚家具 入社

経営企画、経理、営業管理、広報部長などを務め個人商店的な組織からの脱却を目指す。

2004年 同社退社→株式会社 クオリアコンサルティング創業

2009年 フィーマンショックなどの不況により業績が低迷していた大塚家具の社長になる
2014年7月 父と対立があり、大塚家具を解任される

2015年 社長に復帰した父「大塚勝久」を、解任する

2016年4月 父「大塚勝久」が15億円の社債返済を求め訴訟。
資産管理会社の「ききょう企画」は15億円払うように命令される

 

 

大塚久美子の現在

現在(2018年8月)大塚家具は3期連続の赤字。
最終損益が20億円の赤字。

大塚久美子社長は窮地に立たされている。

 

 

まとめ

創業社長の大塚勝久社長は、0を1にしさらに100、1000とする才覚の持ち主です。

また、娘の大塚久美子社長も独立して会社を創業しています。

その後、大塚家具に戻り業績を伸ばそうと奮闘しますが、父と後継者の問題があり社長を解任されてしまいます。

ここが親子が対立した要因で、よく調べてみると大塚久美子社長も可愛そうです。

 

娘たちに、やり返された形で会社を去った、父の大塚勝久は、会社を追い出される形で新しい会社「匠大塚」を新規創業。その業績は好調で新たな成功と言えます。

この、父「大塚勝久」社長のゼロから価値を生み出す会社を立ち上げる才覚はまさに「天賦の才」と言えます。

非常に頭の良い親子ですが、後継問題で対立関係になってしまいました。

創業社長が会社からこのような形で離れると、古くからの顧客が多く離れてしまうでしょう。

 

 

ホリエモンも支持していたのになぜ娘は失敗したのか?

創業社長が離脱したことによる「顧客離れ」が、大塚家具最大の業績悪化要因だったと言えそうです。

マスコミは最初、『老害の父親とそれを正す正義の娘』という構図で面白おかしく報道していました。

しかし、実際は「そんな単純な話ではない」ことがわかります。